ラリビーのファクトリーで働いた経験もあるバンクーバー在住のルシアー川上祐介さんに連れて行ってもらいました。

ラリビーと言えば、私がこの業界に入った頃は、日本市場でもかなりシェアがあり、人気が今よりも高かったように思います。もともとは、ジーン・ラリビーと数人がギター製作をし、奥様がインレイワークをやっていた70年代終わりのギターはクオリティーも高く、伝説的なギターとして認知されています。現在のルシアー物のブームの下地を作ったといっても過言ではないでしょう。
それが2000年代に入り、アメリカのカリフォルニアに工場を移してからは、品質のレベルを短期間で上げられなかったこともあり、人気に陰りが出てきました。
私は、もう全ての行程はカリフォルニアに移ってしまったのかと思っていたのですが、別ラインでバンクーバーの工場も稼働していました。ただ、作っているラインナップはマットフィニッシュのあまり高くはないモデルとのことでした。

働いている人たちも気のいい人ばかりで、いい雰囲気でした。そこで、現在バンクーバーの工場をきりもりしているラリビーJRに、『昔カナダで上位機種を作っている頃はよかったな』的な話をしてしまいました。実際、日本のお客さんにとってはやはりラリビーといえばカナダというイメージが圧倒的ですから。アメリカ的でないことが魅力のひとつであったのです。
話しているとJRの表情も変わってきました。
「そうか、君は東京でギターショップをオープンするんだな。それならば君のためににもう一度カナダ製の10のグレードを作ってやろう」
話は自然とそんな方向へ流れて行きました。
そう、そしてLAST GUITARオリジナルのラリビーの製作が始まったのです…(続く)